Regnirt-sorpの日記

a recreational tennis player's bible

日本のテニスラケット事情

前回、ラケットの話題を書きましたが、今の日本ではその最低限のラケットの入手も難しくなっています。その理由は、最近、大小にかかわらず国内の少なからずの企業が国民を侮っていると感じるからです。
具体的には、食品の偽装やJR北海道のようなでたらめな管理体制等を隠ぺいする体質ですが、テニスラケット業界も例外ではありません。なぜなら、他の業界と同様に、大きく言うと資本を出す資本家と、店を経営する人と、働く人の三者で成り立っているからです。
一昔前までは、その中で「あそこはいいぞ」と評判をとる店は、経営者と労働現場が、自分らの仕事に誇りをもって、最新の素材を集め、世界で認定された職業資格と言った優れた技術をぶち込んで素晴らしいラケットを仕上げてきたと思います。お店はプレーヤーの技術向上や安心して使えるガット張りで、テニスの楽しさを伝えるという言動は一致していたと思います。
最近はどうでしょう、トッププロのプレーレベルアップに伴い、新素材のラケットやガットが上市されているにもかかわらず、USRSA公認のMRTは国内に4人しかいません。これをどう考えたらよいでしょう。ガット張り職人(職業資格保持者)は、USRSAのHPからもわかる通り、ガット張りをはじめとするラケットサービスに誇りと責任を貫く人です。つまり、ガット張り職人が不在のお店は、利ざやを稼ぐだけのもうけ本意になり、せっかくの最新素材のラケットであっても宣伝のスペックどおりのポテンシャルは提供されているはずがありません。
多国籍企業である有名ブランド製造メーカーは資本家の側であり、効率良くもうけるために量販できる対面大型店や配送システムを完備したネット販売に資源を集中させてきました。そこで販売されるラケットは、利益を追求するために希少な職人ではなく、大勢の素人従業員のガット張りがデフォルトになるのは当然です。
こうして国内市場は、最低レベルのガット張りのラケットが席巻し、ラケットの特性とプレーヤーに相性の良いガットを使い高度に仕上げられる職人技があることを誰も見つけられなくなってしまいました。
このようなラケットは、テニス文化とはかけ離れた偽装であり、ソロバンから生まれたまがい物です。買う側も、自分は客だ!と値段だけを追求し、文化への感謝や敬意を忘れ、まがい物を溢れさせています。
日本でテニスを始めた愛好家はそれに気づかないできたと思います。ラケットやガットを買い叩くことが、深い知識のない素人店の偽ハイブリッドが蔓延する原因なのは考えればわかることです。そんなデタラメを売られても、平気で使っています。それは、大半の人が思考停止で、まともなラケットを使ったことがない市場になってしまったからと想像しています。
飲食業界では、本物が分かる1割の客より、残る9割の客向けに商売した方がもうかる、と語られているそうですが、テニスラケット業界も同体質のようです。
日本では、ラケットを買うことの意味は、テニスがさらに上手になるためというより単に所有欲を満たすための手段になっています。そこに経営の側がつけ込んでいます。
なぜそうなったのかは、人間生活そのものがくさっているせいだと思います。業界の商業道徳の問題だ、と簡単には言えません。実はだまされている側にもっと大きな問題があります。身近な真実すら追求しない生き方や文化に対する畏れがなければ、たまたま本物のラケットを握って、これまでの消費を否定し本物に対する美辞麗句を表したとしても、実際にその違いは分からないと断言できます。
ブログで本物のラケットや本物の技術を否定するつもりはありません。使いたい人は使えばいいです。ただ、テニスをするにもしても、そういうところを考えなければ、気分だけ良くてこれまでよりさらに無駄な消費になるだけだと思います。