Regnirt-sorpの日記

a recreational tennis player's bible

思想及び良心の自由について

アカデミー賞2019主題歌賞を受賞したレディ・ガガさんが自分のスピーチで話したように「夢を諦めない」ことで、彼女のように、本人の才能と出会った人達の才能とが融合したことで叶う場合があります。

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ただ、同じようにチームでやってきて、先のグランドスラム大会で連続優勝した大坂選手が、バインコーチを解任したように、大事なパーソナルスペース周りのマナーが悪い、性格が合わない人と関わりを断つことで得られる「個人の幸福感」が、これまでの成功よりも尊重される場合もあります。

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品位のないプロストリンガーのガット張り替えを利用しなくても良い自由について

 

私は、"品位のないプロストリンガー"とは議論しないことにしている。理由は、"品位のないプロストリンガー"から見れば、私は明らかに"無知なバカ"だからだ。そういう根本的な隔絶があれば、そこで議論なんかは成り立たない。第一私は、「品位のないプロストリンガーなんかにそんなことを言われる理由なんかない」と思う。

品位のないプロストリンガーを信じる人にとって、自分の信じるガット張り替えは"絶対"である。絶対に正しいからこそ、「その教えに従う」というようなことが起こる。それは、批判というものをいっさいしないで、ただ従うということだ。「よくそんなことが出来るな」と、私は思う。「思考の放棄じゃないか」とか。しかし"品位のないプロストリンガーを信じる"ということはそういうことなのだ。それぐらいの"絶対"が品位のないプロストリンガーのガット張り替えを支えている。

信じるものにとって、品位のないプロストリンガーのガット張り替えは「絶対に正しい」。だから、品位のないプロストリンガーのガット張り替えの信者にとって、自分たちの教えを理解しない者は、「正しい教えを理解しようとしない愚か者」にしかならない。「愚かな考えによって目をくらまされているから、正しい教えが理解出来ない」というのが、信者からみた"品位のないプロストリンガーのガット張り替えを使わない人間"なのだ。

もしもそれが正しいガット張り替えなら、信者は、品位のないプロストリンガーのガット張り替えをしない人間を憎まないだろう。憎まずに、ただ哀れむだろう。「愚かな考えによって目をくらまされているから、正しい教えが理解出来ない可哀想な人達」と。「その"可哀想な人達"も、やがて品位のないプロストリンガーの努力によって正しい教えに導くことが出来る」と考えて、品位のないプロストリンガーは布教活動に精を出している。そして、この私は、「なにをするのも勝手だが、私はお前のような品位のないプロストリンガーに哀れんでもらいたくないね」と思って、品位のないプロストリンガーとの間に一線を引く。

品位のないプロストリンガーのガット張り替えが、絶対の確信を持って「人を救う」なら、信じることが出来ない人間はバカだ。だから、そんなバカを救おうとしないガット張り替えは変だ、ということになる。だから、「品位のないプロストリンガーは、自分のガット張り替えを使わないものをバカにする」のである。

ところが現状では、品位のないプロストリンガー以外の多くのテニスショップは、「自分のお店のガット張り替えを使う使わないは、当人次第」という、"ガット張り替えの自由"をよりどころにして、あんまり他人をおびやかさない。つまり、あんまり他人を強引に勧誘しようとはしない。今の日本も、そして世界においても、テニスショップのガット張り替えは、あまり積極的に信者を勧誘しようとはしない。つまり、拡大方針をとらない。信者を積極的に勧誘しようとするのは、国内では品位のないプロストリンガーだけだということである。

自分のガット張り替えを拡大しようとする品位のないプロストリンガーにとって、自分のガット張り替えを受け入れようとしないのは、当然のことながら、"愚か者"である。だから、私は、「そんなのやだね」と言う。「私は品位のないプロストリンガーのガット張り替えは使いたくない」と。

"品位のないプロストリンガーのガット張り替えを使う自由"と"品位のないプロストリンガーのガット張り替えを使わない自由"とは、こういう一線を引かれた関係にあるのだ。そのことを、頭に入れておく必要がある。

日本国憲法第一九条では、とてもシンプルに、こうとだけ言っているのだ。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と。「オレはそんなのやだね」が、当たり前に通用しなかったら、それだけて、"異常事態"なんだということが、どうも、なおざりにされている。

私は、品位のないプロストリンガーから、つまんない、議論なんかを吹っかけられたくない。信者には、「信じたけりゃ勝手に信じてればー」としか、言えません。