Regnirt-sorpの日記

a recreational tennis player's bible

テニスの自由について

当たり前のことですが、日本でテニスをする場合、法やルールに触れて、人に迷惑をかけたりしなければ、どこで買ったどんなラケットを使ってテニスをしようと批難されることではありません。また、自分が話しているより実際には下手くそで、自分未満の無様な姿を晒していても、テニス愛好家や自称競技者の人達自身がそれでいいと思うなら、許されることだと思います。それはテニスの自由です。

一方で、お店に入る(電話で質問する)や否や、そんなラケットはダメだ!、バーチャル庭球だ!、本場テニスではこうだ!、俺様のガット張りはマニュアル通りに使わないと効果がないから真剣にテニスをやらない一見さんお断り!、日本人にはテニス文化が根付いていない!、テニス文化を学び理解に励まないとダメだ!、世界テニスの正しい知識を知らないお前らは自称競技者だ!、日本は世界で最も乱暴でテニス文化レベルの低い市場だ!、10年先を行っている俺様の超一流のガット張りの仕上がりは感性が枯渇したバーチャルナルシストにはわからない!、俺様のガット張りの才能は、巷のテニスショップの妬み嫌がらせや誹謗中傷で営業を妨害されている!、お前ら素人客の分際で異文化のテニスをなめるな!、滑稽なバーチャル庭球は害だ!、お前ら日本人テニス愛好家は無知なのでニセ物ラケットを売る巷のテニスショップに騙されている!、巷のテニスショップは自分の最高の仕上がりラケットを何の根拠もなく保身のため貶(けな)す!、本物のテニス道具(ガット張り)が欲しけりゃどんなに遠くても俺様に会いに来い!、日本語で収集したテニス知識は無力だ!俺様のガット張りしたラケットを使って初めてお前らがテニス文化を見下す土人だったことに気づく!等の意見(傲慢症候群?)を語るテニスショップがあります。
言論の自由のもとの一意見として聞き流せる内容ですが、来店した全てのお客さんには自論を展開し、反論したお客さんは会話内容をブログに公開するので、継続購入のお客さんは聞いたふりをしています。その様は離脱不可能なヤバイ新興宗教の勧誘と引き留めのようです。このような商売をするのをブラックテニスショップと言います。ブラックテニスショップでラケットやガット張り(総称してラケットサービスと表現しているところもあります)を買おうと考えたり、買ってしまっても、説明不足で意味がわからないテニスの真実の講釈や押し売りが自分に合わないと判断したら、呪いの言葉を吐かれても、利用しない、今後は利用しないという判断をしても全く問題ないです。それは、正常な消費者の権利であり、テニスの自由です。

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---テニスの自由について---

テニスの自由は言論 の自由と同じであり、
「私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。
その理非の判断はそれを聴くみなさん(テニス愛好家)にお任せする。」
ただそれだけのことである。
だが、テニスについて言えば、ブラックテニスショップは「テニスの自由」を前段だけに限定してとらえており、後段の「その理非の判断はそれを聴くみなさん(テニス愛好家)にお任せする」という条件を言い落としているか、敢えて無視します。
他人の理非の判定力を認めない人には一般論を語ることができない。
それと同じように、「理非の判断をくだすテニス愛好家」への敬意を欠いたブラックテニスショップは「テニス愛好家のテニスの自由」において語ることが許されない。
「本場テニス」や「テニス文化」を語ることはできる。
どのような権威を呼び出そうと、それはその人の自由である。
けれども、「テニス愛好家のテニスの自由」を語ることだけは許されない。
自分が冒瀆し、遺棄した「テニス愛好家のテニスの自由」を語ることは、それを信認しているテニス愛好家全員に対する侮辱だからである。
大事なのは、「テニス愛好家は長期的・集合的には必ずや適切な判断を下すだろう」という「テニス愛好家の叡智」に対する信認の存否である。
ブラックテニスショップは、テニス愛好家やいくつかのテニスショップに向かって「おまえたちは情報弱者だから、間違った判断を下している」と言っているのである。
「テニスの事実を知る私が代わりに判断してやるから、お前たちは私が『買ってもよい』というものだけ買っていればいい」と言っているのである。
ここに「理非の判定を下すテニス愛好家」への敬意を見出すことはむずかしい。
「理非の判断を下すテニス愛好家」の判定力を信じない人、「テニス愛好家が自由なテニスが行き交う場がなくてはすまされない」とは考えないのがブラックテニスショップである。
それはしかたがない。
けれども、ブラックテニスショップが「テニス愛好家のテニスの自由」を呪いの言葉で汚す権利を「本場テニス」及び「テニス文化」並びに「権威」において要求することをこのブログは許さない。

以上、内田樹先生のブログの
言論の自由について再論」
を拝借して、テニスの自由について書いてみました。以下利用出典

行かなくてもいいニューワールドがあります。
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